ブログを始めようと思ったわけ③(催眠療法体験記②)

催眠療法を受けた後に起こった神秘体験

 お久しぶりです。お元気ですか。

一年以上もブログ更新を放置して、本を読み漁っておりました。

なぜなら、スピリチュアルの広い広い世界を、まだまだ人に教えられるレベルじゃないなと痛感したからです。(無論、広すぎる世界なので、今でも伝えられるのはごく一部ですが。)

なんとなく心理追求が一段落したように思えるようになったので、またお伝えできることをブログにUPしていこうと思います。

信じろって言っても無理だと思うけれど、とりあえず記録として残しておこうと思う

幼少期からこの疑問が自分の中にありました。世界中の様々な宗教によって、様々な言い伝えが残されているけれど、結局のところ、「人は(世界は)死んでしまうとどうなるんだろう?」というものです。幼少期から私の母親は闘病生活を送り、私には死に関しての恐れがあったため、この問いを抱くことがありました。

また、かなり信仰深い家に育ち、家には沢山の日本の神様を祭る祭壇や偶像があり、海外の神様とはどう違うのかということも、個人的に疑問がありました。

小学一年生の頃の話になりますが、小学校の教室にいるときに、ふと次のように感じたことがありました。「全ての教室と廊下が繋がり、学校というものが一つであるように、どの宗教を信仰していても、全ての魂は、結局は同じところにたどり着くはずだ」と。(この感覚をずっと残せていたら、うつ病なんぞにならなかったのでしょうね。)このことを思い出したのも催眠療法を受けた後です。

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催眠療法の予約を入れた後、気分転換にシャワーを浴びていたのですが、その時に「この人生は一体、何だったんだろう?」と自問していました。すると、頭上から「手放していくことのレッスンでしょ」という“意識”(言葉そのものではなく、テレパシーのようなもの)が降りてきました。

(ここで説明する「意識」という表現は、とても重要になります。言葉ではないんです。)(前にもお伝えしたように、非科学的なモノを信じていなかった頃だったら、統合失調症だと勘違いしていたと思います。)

その時は、「ああ、そうなのか」と納得したのを覚えています。(確かに私は、過去を思い悩む癖があり、かなり的確なアドバイスだったと思います。)

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また、催眠療法を受けた後には、更に不思議な体験をすることになりました。まだ春先の肌寒いある朝、なんとなく無性に、何故だか急に座禅を組みたくなり、自室で座禅を組んだところ、頭頂部がパカッと開いた感覚がして、体の外へ意識が出ました。

はや過ぎて、ほとんど見えなかったのですが、とりあえず一瞬だけ宇宙っぽいところを通過したように思います。(あまりにも速すぎて、たぶん、あそこは宇宙だったと認識しています。)

そのあとは、別の次元に自分の意識が在りました。

今、自分たちが目にしている世界のように、ほんとうに鮮明でクリアに見える世界でした。ただ、コミュニケーションは意識のみで行われている世界(つまり、テレパシーとか、以心伝心みたいな感覚)でした。

そこで、自分のガイドかな?と思う方に出会い、一言だけ助言を頂くことができました。(当時は本当に、人生というものに苦しんでいたので。詳しい内容は内緒。また別に機会にお話しできたら、と思います。)

情けない話ですが、そこで私の肉体の「腹筋」が耐えられなくなり、意識が自分の肉体に戻りました。(座禅の「型」を維持することが出来なくなったためです。ハタヨガなどで肉体を強化しながら瞑想を教えているのは、このためかと痛感しています。)

自分の肉体に戻ってきたときに、「何だ、結局のところ、色々な次元を含めた、様々な世界が在るんじゃん」と呆然としながら感じたのを覚えています。

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ちなみに、パカッと開いた感覚がしたのは、チャクラと呼ばれるもので、肉体に7ヶ所あるとされています。(チャクラとか言われて、以前だったら「ナルト」くらいしか思い浮かばなかったのに、今じゃスピリチュアルにちょっと詳しいヲタになりました。)

また、自分が体験したのは、本当に、ごく一部のことで、それが精神世界の解釈として絶対的に「正しい」わけでは無い、ということは理解して頂きたいです。(追求が浅いままで終わるとミスリードに繋がってしまうのです。)

こんな感じで不思議なことを自身で体験したことで、そこから心理追求が始まりました。

その後、参考となった海外の臨死体験者の話や非二元論などを、別の記事で紹介していくつもりです。

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(本当はこの記事は絵を取り入れて紹介するつもりだったんですが、直観的に断念しました。逆に文章のみのほうが、余計な先入観を与えなくていいのかな、と思います。)

(最終更新日:2018/05/26)